問題の経緯

日本で一番、植物の種類が多く豊かな生物多様性を持つ高尾山にトンネルを掘る計画が1984年突然降ってわきました。

圏央道のためのトンネルです。

首都圏中央連絡自動車道(圏央道)は、都心から約40~60km、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県の1都4県にまたがる総延長300kmの環状道路です。事業者は国。

当初は、東名、中央道、関越道、東北道、常磐道、東関道、東金道路などを環状につなぎ、23区内を通ることなくそれぞれに接続できるようにし、都内の渋滞を緩和させるということが圏央道の計画理由でした。

しかし、圏央道の外からやってきて23区内に入らず、圏央道の外に向かう車は、当時の国交省の調べによれば、都区内の全交通のたった0.6%(約4万台)です。埼玉に住んでいる人が鎌倉に遊びに行く時に「便利!」と思うかもしれませんが、そんなことは年に何回あるのでしょう?そのために高尾山の自然を犠牲に?

ほとんどの車は都心に用があるのです。残りの99.4%の交通量はそのままですから、圏央道によって渋滞が緩和するとはとても言えません。

せめて八王子市、特に16号の緩和に役に立つのか?と思いきや、国交省の資料によれば、国道16号が3分短縮、八王子バイパスは0分で変化なし、129号は1分短縮…

1分とか3分のために、何十億もの税金を使い、高尾山の自然に大きなダメージを与える理由が、わたしたちには全く理解できませんでした。

むしろ道路ができることによって起きる新たな渋滞「誘発交通」の危険性も指摘されましたが国交省道路局は聞く耳を持ちませんでした。

現在、圏央道ができたことによって、中央道の渋滞は悪化しています。しかも、その渋滞をなくすために、小仏トンネル近辺にまたトンネルを掘る計画が現在進行中です。

どんどん壊して、どんどん造って、わたしたちはいったいどこへ向かうのでしょう…

 

目的が「渋滞解消」というのもあやしい道路であるうえに、都心から約40~60kmというとまだまだ豊かな自然が残っている所。まさに高尾山がそれにあたります。

高尾山の生物多様性は、豊かな水のたまもの。高尾山は水の山。そこに直径10mトンネルを2本も掘るなんてとんでもない!「水袋に槍を突き刺すようなものだ」と大きな反対運動が起きました。地域住民だけでなく、高尾山を愛する登山者、著名人、学者等、多くの方が声をあげ、トンネル工事の見直しを求める署名は50万通を超え、裁判の原告となった人は1000人以上でした。

 

慎重でなければならない環境アセスは、前代未聞のめちゃくちゃなものでした。高尾山にない植物が掲載されていたり、在るものが載っていなかったり…「影響はない」という答えが最初から決まっているとしか思えません。住民説明会では高速道路の賛否についての議論はなく、道路建設を前提にした話ばかり。メリット、デメリットについて誠意ある議論は行われず毎回紛糾するばかり。

 

たった1mトンネルを掘るのに7000万円もかかるという多額の税金が使われるため、圏央道の公共性が大きな問題になりました。

国交省の計算によると、走行時間が2、3分の短縮であるにもかかわらず、年間664.44億円の便益(経済効果)があることになっていたため、計算の根拠となった資料の公表を求めたところ、国交省は「データがない。バックアップをとっていない」と、ありえない回答。

費用便益の計算があまりにむちゃくちゃなうえ、根拠を示すデータもないという状況に、裁判官さえも疑問を持ちました。

もはや、交通のためではなく多額の建設費がかかる工事がしたいだけとしか言いようのない状態です。

しかし、国を相手取った裁判は難しく敗訴。

 

裁判が進行中であるにもかかわらず、土地収用法が適用され、トンネル出口にあたる土地が強制的に奪われてしまいました。土地収用法とは、簡単に言うと「公共の目的」のためなら私有地を没収しても良いという法律です。成立時から憲法違反だと批判の多い法律で、この法律さえあれば、どんなに反対しても最後には土地を奪えるため、国交省の「伝家の宝刀」と呼ばれています。

高尾山に土地収用法が適用された頃には、収用を拒否した場合、撤去の費用や警察などが動員されえるとその人件費まで土地を奪われる方が負担しなければならないとさらに改悪されてしまいました。国の言う事を聞き、大人しく土地を明け渡せば、お金がたくさん入り、拒否すると多額の負担が待っています。

裏高尾のあるおじいちゃんは、圏央道に反対し、ずっと土地を売らずに頑張ってきましたが、「頑固に反対しても土地を取られるだけどころか金まで払わなくてはならない。孫たちに土地も金も残さないつもりか。せめて金だけでも残してやれ!」と親戚や家族から責められ、悩み、とうとう土地を手放さざるをえませんでした。

「それでも俺は反対なんだ…」とつらそうにつぶやいたおじいちゃんの声が、今でも忘れられません。

 

「公共性」とは何なのだろう?公共=政府や国ではなく、公共とは私たち自身であり、人々のことであるはず。高尾山は、まさに公共の財産です。

大都会のオアシスである高尾山と多額の税金によってゼネコンが潤うトンネル工事とどちらが本当の「公共性」を持つのか?

トンネル工事に賛成の人も反対の人も合わせてもっと議論がしたかったという想いが残ります。

ついに、2011年東日本大震災と福島第一原発事故で世の中が揺れているまっただなか、トンネル工事は、すごいスピードで続けられ貫通。翌年2012年には開通式が行われ、供用がスタートしてしまいました。

 

国交省の方には、「そのうち見慣れますよ」と言われましたが、何年たっても高尾山のど真ん中に空いた大きな穴やそびえたつ橋脚を見るたびに、胸がかきむしられるような気持ちになります。地球が何億年もかけて創ってきた地層や水の通り道が、ズタズタに引き裂かれてしまいました。人間の力では、もう二度ともとの姿にもどすことはできません。

今も高尾山は、ただ黙って四季折々美しい姿を見せてくれています。

しかし、湧き水が枯れたり、減少したり、動物たちが行き来できなくなったりと少しずついろいろな影響が出ています。

傷ついた高尾山に、これ以上の負担をかけない暮らし方を考え実践すること、そしていつの日かこのトンネルが無用の物となった時に、再生できるように、各地の再生に取り組む地域からわたしたちは学び続けています。

 

トンネルが計画された1984年からすでに34年の月日が経ちました。

時代は変わり、昔では考えられないほど環境への関心が高まっています。自然を守り持続可能な社会へ舵をきろうという考え方は、いまや世界の共通概念。

高尾山は間に合わなかったけれど、山は死んではいません。

多様な生物たちのいとなみは続いています。

 

反対運動は終息しましたが、高尾山を守る活動は続いています。

傷ついた高尾山とともに生き、暮らしていくわたしたちの生活も続いています。

1984年 建設省(当時)が圏央道計画を発表。住民にはいっさい知らされておらず、新聞でこの事を知った。中央道による排ガスや騒音の被害を受けていた摺指集落、荒井集落の住民が「裏高尾圏央道反対同盟」を結成。
1985~1986年 住民による自主アセスが行われた。
1988年 東京都による環境影響評価書案が出されたが、非常にずさんであったため48000通の意見書、132000筆の計画撤廃要請書が出され、東京都環境影響評価審議会は、57項目にわたる改善点を指摘した。各地で説明会が紛糾。
1989年 東京都は、住民の反対が強いにもかかわらず、東京都分の圏央道を都市計画決定。建設省(当時)は裏高尾の反対住民を排除し、地権者60名の内わずか4名のみ参加の説明会を強行したが、住民の激しい抗議で流会。
裏高尾で立木トラスト運動開始。
2000年 住民や高尾山ファン1500人が原告となり「高尾山天狗裁判」提訴。
2005年12月 高尾山トンネル工事着手。
2008年11月 横浜方面側トンネル坑口の共有地で、虔十の会を中心に、延べ3000人以上の人が、10か月にわたり樹上に作られた「ワイワイデッキ」で座り込みを行うが、行政代執行により土地を奪われる。
2010年5月~8月 高尾山の地下水位20m低下。
2012年3月 高尾山トンネル開通。